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夫の事、子供の事~現在の状況 2

2010/04/26


私は学校の 面談室 に通された。
そこには教頭先生、発達障害に関する知識のある先生2名、そして担任の先生がいらした。

まず私は、担任の先生から、子供がやった採点済みのテスト数枚を見せられた。
全教科、すべて100点だった。
学校を休みがちで(極度の睡眠障害があるため)、授業もまともに受けていないのに。
塾などにも行っていないのに。

Wiscのテストを行った時、子供のIQは120と出た。これは小学生の平均を遥かに上回る。
通常なら・・・親ならば、この結果に喜びを感じただろう。
でも、私は「テストは50点、心は90点」という考えだった。

勉強なんて、50点や60点も取れてれば、後でなんとかなる。
自分にとって必要な時、頑張ればいい。
でも、人を思いやる心や、人の痛みを感じる事のできる心は、絶対に
90点でなければならない。<神様じゃないのだから90点でいい。

この子が生まれた時から、それはずっと思ってきて、
それが私にとっての、最大の育児方針としてきた事だった。

我が子は、その真逆なのである。

お友達の失敗を笑顔で許したり、決っして責めない子ではあるが、
それは子がマニュアル的に覚えた事であって、相手の事を考えて、状況判断が
できた上での事ではない。なので、ちょっとそのマニュアルからズレた
「(子にとっての)想定外」な会話に発展すると、もうそこから先は
「相手を思いやった許し」ではなくなってしまう。




小学生で、ここまで出来れば、まぁいいじゃないか。

そういう声が、私の心の中に響く。

今の我が子の年齢で、これ以上を望むのは酷な話だとは思う。
けれど、それがやはり、トラブルが起きる原因にもなっている事なので
やはり見過ごすわけにはいかない。
たとえ我が子が、できなくても、それを叱るような事はせずとも、
やはり、それを教え続ける事は、止めてはならないように思うから。

周囲の人を困らせて欲しくない、
それによって、我が子がイジメに合うような事は避けたい。

どうしても、親としての感情が強く出てしまったりする。





他人に騙されても、利用されても、それに気づくことが出来ない。
いじめられても、怒る事なく「遊んで」しまう。

消しゴムを毎日入れても、毎日学校のどこかへ落としてしまう。
教科書・ノート・文具を、教科毎に分類し、ケースに入れ、
「このケースに何を入れるか」というタグシールを貼って持たせても、
1日として、それがまともに揃って家に戻ったことはない。

一度、先生が「落し物いれ」から、消しゴムを持ってきて
「(しょうがないから)今日はこれを使いなさい」と差し出すと、
以降、それをやっていい、と思ってやり続けてしまう。
恥ずかしい事、いけない事、先生が「その日だけ許してくれた事」、
というものを、空気雰囲気で感じ取る事ができない。
悪気なくやってしまうのだ。


一見、かなりおおらか、というか・・・裸の大将(山下画伯)も若干入ってる
感じの、おおらか・・・?な性格に見えるかもしれない。
「言葉使いも丁寧で、素直で、生意気なところのない、本当に良い子ね」
と、近所からの評判もすこぶるいい。

けれど、それは喜べない現実なのです。親としては。
・・・正直なところ、半分は喜べる部分もあります。
他者に迷惑がかからない部分での、我が子の性格は、その年齢に見合わず
とても可愛らしく、優しく、素直であるという部分もあったりします。

とはいえ、集団行動をしなければならない学校生活においては、
他人様に迷惑をかけてしまう可能性が生じる以上、そうも言っていられません。


学校で、我が子のような問題行動を起こす子は、私たちの時代にもいました。
そして、そういう子は「ちょっと変わった子」「おもしろい子」
「おおらかっていうか、お人よしの、自由奔放な子」といった感じで
見過ごされてきましたが、今の時代は、こういう子は規律を乱す子、としか
みてもらえません。

これは先生もおっしゃっていましたが、昔は単に「変わった子」で終わったけれど
今は本当に「一律」でないといけない、という風潮があり、そして「全て」を
そつなくこなす子供を育てる事を、重要視されてしまっている時代で、
子供社会全体として、子供が生きにくい、ストレス社会になっていると思う、と。

個性が大事、と言いながら、それと正反対の仕組みの中に
子供たちが押し込められている状態なんじゃないか、と。
その枠から、ちょっとでも突飛してしまう子供は、排除されがちになっている、と。


勉強はできる。
けれど、コミュニケーション能力(ルールから脱線する)が欠如している。

先生は、こう続けた。

「勉強はできるんですよね。お母さんの前だから言うのではなく、
正直、私も驚くほど、高い表現力と知識力を持っています。
はっきりいって、同学年の子では負けます。それ程、学力は高いです。
ですが問題は、お母さんもおっしゃっているとおりなんですよね」

私「コミュニケーション能力が低い事ですね。
学力は同学年の子以上であっても、コミュニケーション能力・社会性は
同学年以下・・・というか、手間のかかり方は、低学年の子・・・それ以下かも
しれませんね・・・」

「お母さんも本当にご苦労されていると思います。そして、高機能自閉症と
診断されているんですよね・・・」


という感じに話が流れ、進級を機会に、特別級へ行ってはどうか?
という提案をされた。


形式的には提案ではあったのですが、私は「要望」と捕らえていた。


私は、子が3歳くらいの時から「どこか変だ」と思っていた。
なので、公的機関の育児相談や育児検診、小児科、心療内科などにも
相談してまわっていた(夫は無関心に近かったので、詳しい内容は把握していない)。

けれど、一度だけ、それらしき事を言われた事もあったけれど、
その周囲にいた看護士の方たちが「違う」と言うし、その他の医療機関や
育児相談の方々も、否定していた。

なので、wiscを使った具体的な検査を行ったのは、小4になった時に
やっと・・・だったのです。
(私の方から調べ、お願いして、やっと実現)

発達障害の知識はおろか、その言葉すら知らなかった私でした。
なので、見当もつかないまま、長い間、どこに行ったらいいのか(行きつくしたので)
どうしたらハッキリするのか、ずっと悩み続けてきました。

最も苦しんだのは、我が子ではないかと思います。
自分の「違い」「特徴」を、親はもちろん、学校でも、誰にも理解されず
ただただ「普通の子たち」の中で、何の指導も対処もなされぬまま、
「おかしな子」のレッテルを貼り続けられてきたのですから。

もっとも頼るべき唯一の人物である 親 からも・・・。

今更、悔いても仕方のない事だとは判っていても、我が子に対して
なんと申し訳ない事をしてしまったか・・・という思いは拭いきれない。

もう少し早く、この事が判っていたならば、もっと早い時期ならば
特別級で、我が子に合った指導をしてもらい、2~3年生で普通クラスへ移行する、
というケースができたはずなのだ(これが理想的な形で、一般的)。

年齢が低ければ低いほど、その指導の効果も短期間で現れやすく、
また、その子自身や周囲の子たちの「差別意識・こだわり」も生じにくいため、
スムーズに、その段階をふむことが出来る。

けれど、我が子はもう高学年。
普通級のお友達もたくさんいる。
特別級がどんな意味の所なのか、誰もが理解している年齢。
そして、また、差別的な感情も生まれている年齢である。


我が子にとって、特別級に行くことは、もう既に耐え難い
年齢・状況になってしまっていた。


先生方は本当によくやってくださっている。
だって、他人の子を30人もみてるんですよ?
自分の子1人や2人にも、頭を抱える「実の親」がどれほどいるでしょう?

実の子さえ大変だというのに、本当に先生方には感謝と敬意以外の
何者もないと思うのです。

確かに今の時代、問題を起こす教師もいるかもしれない。
私たちの世代の教師と違い、先生方が変わった、と指摘される人も
少なくないようにも思う(そういう声も同じ保護者から実際に聞く)。

けれど先生「だけ」が変わったのではなく、私は、私たちの世代
全体の大人が、そのモラルを変えてしまっていると思うのです。

先生から、そういう愚痴を聞いたわけではないですが、
見ていると、本当に保護者に対して、様々な気遣いがみえるんです。

たとえば、保護者と対面に座らないようにする。
これは「敵対」の位置といって、相手と議論する時には
真正面に座らない方が、感情論になりにくいという心理学的なものなのですが、
それをされる先生の多いこと・・・。

それほど、先生方は見えないところで、神経をすり減らしている、と
思うんですね。

私は、先生たちに、特別級へ行ってはどうかと言われた時、
感情では「No」と言いたかったですが、それが言えませんでした。

高学年にもなれば、他のお子さんたちも難しくなってくるはず。
勉強だって複雑になるはずです。

そこへもってきて、手のかかる我が子。。。
先生の負担、そして他のお子さんへ迷惑がかかるかもしれない。
そんな事も含めて考えると、自分個人の意見だけを言う事はできませんでした。

我が子にとっても、その学校の特別級に行く事は
デメリットも勿論あるでしょうが(周囲の目による本人の精神的ストレス等)
メリットもあるはずでした。

その学校には偶然にも、我が子のようなHF-PDD(=知的障害のない症候群的なもの)
の子供さんと、PDD(=知的障害を伴う場合)の子供さん専用のクラスがある。
そういった意味では恵まれた環境だと思う。

HF-PDD・PDDのお子さんは、1つのクラスになっており、分けられてはいません。
そして10数名のお子さんに対し、先生の人数も5人程度になっているのです。
なにより、自閉症やAP(アスペルガー)の専門知識をもった先生が常駐してらっしゃる。

我が子に合った指導をしていただける可能性は、多分にあるクラスです。

先生方と2時間以上話をし(たった1人の子に、忙しい時間を割いて
時間を作ってくださった事に、本当に涙が出るほど感謝です・・・)


1つの問題を考える時、私は「感情」をとりあえず横に置き、
あらゆる方面、あらゆる立場から、一度考えてみる必要があると思っています。
そして、それをじっくり考えた後、その中から「何を軸に考えるべきか、
何を重要視すべきか」を考え、何度も何度も話し合い・・・ながら考えます。

とはいえ、最大の問題は「話し合うべき相手が、話し合ってくれない」事です。
その本人である夫は、「そんな教室に行かせるなんて、デメリットしかない。
行く必要はなし!」の一点張り。話し合うスキもない状態。


感情論としては、私とて同じである。
定型の子と、見分けが付きにくいレベルで、今までずっと普通級で過ごして
きたというのに、この年齢になって、いきなり特別級に行かせるのは
あまりに酷であると思っている。


ただ、私は、

・親の立場、子の立場
・学校での子供の状況、現状の問題
・先生方や他のお子さんとの問題

こういった多方面から一旦考える必要もあるのではないか、と思ったのです。
結果、我が子が今まで同様、普通級へ・・・という事になったとしても
考える必要があり、最低でも両親で話し合う必要のあることだと、私は思っていました。

そうやって、あらゆる立場の人の事を考えることによって、これから起きると
想定される問題に関する対処の方法や、回避の方法を、事前に考えておく事ができると思うのです。


何より、先生方には、ご迷惑をかけるわけですから
今後、何か問題が起きた時、先生方の気持ちや立場を察しながら
互いに話し合っていく必要もあり、それには、事前にそのような相手の立場に
立ったことを考えておかなければ、相手に対して「生きた言葉」は発せないように
思うのです。


今まで「なぜ、そんな話をするのか」「そういう話が必要なのか」なんて
考えもせず、・・・問題が生じた時などは、普通にそういう・・・
なんていうか・・・自然に、そんな流れの思考・会話をしてきたので、
ここで「なぜ」「どうして」と、改めて言葉で説明するのは難しいのですが・・・。


でも、極度の(私からすると)合理的思考である夫にとっては、
「結論だけでいい。その他は無駄話。それを話してなんになるのか。意味不明だ」

という事になってしまうのです。



(続く)
09:43 サボテンと雪椿 過去ログ | コメント(3) | トラックバック(0)

夫の事、子供の事~現在の状況 3

2010/04/28


ここにきて、日々、色々な出来事(変化)があり、タイトルの「現在の状況」に
追いつく前に、次々と新たな展開が起きています。

私自身の頭の中を整理するのも、一苦労(というか、整理しきれていない気も…)
といった感じです。


夫と結婚してから14年間、本当に色々な事がありました。
通常では抱えないような、重すぎる大きな問題もたくさん起きました
(私の主治医の先生が「なぜ離婚しないのか?」と怪訝に思うほどの内容)。

1つの事を書こうとすると、その前後の問題・出来事も書かないと
いまひとつ話の流れに誤解が生じるように思ってしまい、それに関連する
他の出来事を書くと、またまた、別の関連する事を書かないと
話が流れなくなってしまい・・・の連鎖に陥りがちになっています。


こんな状態で、書いている私自身が少々混乱気味になっているので
読まれる方は、もっと混乱してしまわないかと思いつつ、
書き進めていっていたりします(汗



長い間 「私の会話」 を否定し続けられ(夫も「俺だって!」と言うでしょうが)、
「自分の言葉」を失ってきてしまった為、自然さがない、どこか不自然な
わかりにくい文章になってしまっていると思いますが、どうかお許し下さい。




-----------------------------------------------------------------------------

(前回からの続き)


夫は子供が特別級に行く事に、強く反発した。


親ならば、誰でもそういう反応をするのが自然でしょう。
普通に考えれば、当たり前の事なのですが(私とて例外ではない)、
そういった感情さえも殺して考えなければならない、と思えるほどの「経緯」が
今までにあった為、「親としての自然・当然の回答」だけを、単純に
出せる状況ではなかったのです。

少なくても、私の中ではそうでした。


一応、私の考えは(あらゆる立場に立って考えた客観的意見と、親としての
NOという感情もある事)夫に伝えたものの、たぶん、夫には「音として聞こえた」
だけで、私がどうしてそう考えたか、などの意味は伝わっていないと思う。


けっきょく、十分には話せないまま、夫が翌日に学校に電話し
「No」という答えを告げて、我が子は普通級へ行く事になりました。

その条件として、かなり前から学校や教育委員の先生から「実践してほしい」と
言われ続けてきた 「家庭で 家事などの 共同作業を ”家族全員で協力して”やる
=チームで動く事を覚えさせる」 という事を実践する、と夫は先生に約束しました。

それを聞いた私は「・・・ほんとにできる? ほんとにやらないとダメなんだよ?」
と夫に言いましたが、夫は「やるよ」と力強くキッパリ答え・・・。

新学期が始まってから、もう1ヶ月が経とうとしていますが、私の予想どおり、
やはり夫は、今までとなんら変わらず、
休みの日には寝ているか、PCをしているか、携帯をいじっているか、TVを延々と
「眺めている」か・・・で、共同作業は一向にされず・・・の状態。



・・・私は、もう、ハッキリと言わなければならないかもしれない。
夫に、受診をする事をハッキリとお願いして、話し合わなければならない・・・
我が子のためにも、これからの家族のためにも。。。

そう意を決した。


夫がどういう反応を示すかは、判っていた。
私はそれが判るだけに、ずっと悶々と思い悩むしかなかった。

どうやって話せば「伝わる」のか・・・。

どういう風に言えば、曲解されずに、気持ちを理解してもらえるのか・・・。


本当に気が重かった。

何か、得体の知れないものが入っていそうな箱を開けるような、
そんなビクビク感と緊張感でいっぱいだった。

夫に何か話す時は、いつも心が張り詰める。


こちらが言わんとしている「本題」が、いつも反れ、
夫に非があるような事であっても(浮気とか借金とか)、いつの間にか
私が責められていたり、夫が声を荒げていたりするのである。

いつも、しまいには「何を話しているのかわからなくなる」といった状態に陥る。

本題をストレートに話しても、理解できていないようなので
喩え話を交えて解りやすく話すと、いつのまにか、その喩え話が本題のようになったり
喩え話から、思いもよらない話に展開していってしまうのだ。

「なぜ、あなたが責めるの?」
「そんな話はしていないでしょ?」

と私が言うと

「責めてるのはお前だろ!」(・・・え?悪い事したのはあなたでは?)
「じゃぁ何の話なんだよ!こっちがわかんねーよ!」(・・・もはや何も言えない)


となる。
こうなってしまうので、まるっきり「本題」にすら入れない。
でも夫からすると、おかしいのは「私」なのだ。

私は、「相手に気持ちが伝わらない場合は、自分のどこかに非があるんだ」
「10あるうち、1,2自分が悪かったら、まずはそれを考えよう」

こう父に教えられてきたし、自分でもそうだと、そうあるべきだと
ずっと思ってきた。それを実践してきた。

なので、長い間、ずっと、夫に責められると(逆切れでも)
「え・・・私が悪いの?私が悪いのかな?・・・私が悪いんだ」
といった具合に、自己暗示と思考停止に陥り、うつ病になった。


そして、何を言っていいのか判らなくなり、言語障害に陥った。



(続く)
02:24 サボテンと雪椿 過去ログ | コメント(4) | トラックバック(0)

自宅で出来るアスペルガー度チェック

2010/04/30


ここの所、ダーーーーーッと全力疾走的に、過去を交えた最近の出来事を
重~~~く、長~~~く、語り続けていたので、ここでちょっと一息入れようと思います。


あまりにも重い話ばかり、延々と読むのも(書くのも・・・か^-^;)
きっと疲れてしまいますよね。


とはいえ、今回もPDD(というか今回はアスペに限定ですが)に関する事に
なってしまいますが(^-^;


アスペルガーや高機能自閉症って、実は知られているようで知られていない?
と思うのです。

人格障害とごっちゃにされていたり、ただの自己中をアスペだと騒いでいたり…と、
そういう誤解を結構目にするんですね。


まず、前のブログにも書いたのですが


アスペルガーと高機能自閉症って、同じなの?

という問いをよく見かけます。

そして、それに対して

同じです。

という回答も、よく見ます。


ですが、これは  違います。 
(って、言い切っていいの?と自信を失うくらい、「ほぼ同じ」という意見が多いので、ちょっと不安
・・・だけど、やっぱり私個人も、違う、という見解の方が納得なんだなぁ。
同じなら、分ける必要ないし<単純に考えて^^;)


よく、幼少期に言語の遅れがあったかどうか?
の違いだけだと言われますが、これも、確かに含まれる事項ではあるものの
厳密には「これだけではない」という事でして・・・(日本では「これだけ」で
分類する医者が多いですが)脳の機能は違うのです。


左のメニューにも その子らしさを生かす子育て という本の紹介を
させていただいておりますが、この本に「その違い」が図解で掲載されていまして、
両者は似てはいるものの、別物、という形で表されています。


図解的に説明しますと、アスペルガーは「症候群」とされているように
(例えば)脳がドット柄になっており、自閉症はモヤのかかったグレーとでも言いましょうか…
そのような感じなのです。

両者は重なっていません。

例えば、風邪と花粉症は、症状が似通っていても別物であるのと同じで
アスペルガーと自閉症も、またこれと同様なのです。


自閉症の場合は、同じ自閉症でも、症状にかなり差があります。
一方、アスペルガーの方は、症状にあまり差がありません。

自閉症は言語が苦手なものの、話す事や人と関わる事を、とても好む人もいます。
症状の度合いにもよりますが、楽観的で、拘りはあるものの、一度理解すると
案外素直に(複雑に考えず、損得も気にせず)それらを受け入れます。
もちろん、そうじゃない場合もあるのですが、幼少期であればあるほど
その訓練によって、ある程度の「頑固さ、扱いにくさ」は解消される場合があります。
重ねて言いますが「治る」ものでもなく、症状の度合いにも関係しますが、
思考の転換は、しやすいかもしれません。

ですがアスペルガー者は、知的な遅れや症状の差がないのですが、
(むしろIQ的には平均より高い人も。高機能自閉症も同様)
自閉症者よりは言語が苦手ではないものの、あまり人と進んで深く付き合ったり
一緒に何かをしたがる事はありません。
頑固さも、なかなか改善する事はできないように思われます。
頑固とは別に、プライドもとても高い人が多いようです。

とはいえ、両者ともに、幼少期の訓練がもっとも重要で、もっとも影響が
強く現れるように思います。


「障害」という言葉が使われがちですが、どうも私は、これに違和感を
感じてしまうんですね。

この、PDDを知れば知るほど、その違和感は強くなっていくばかりなんです。

実は、誰もが知っている超有名人や、博士、著名人、文化人の中にも
多くのPDD者がいたりします。

欧米は日本より遥かに、この研究がなされていて、その専門家も多数いるのですが
その専門家の方々によると、遥か昔の偉人~現在の偉人の多くは、PDD者であった
であろう、という解析がなされているそうです。

彼等は1度に複数の事をこなすのは困難ですが、1つの事を極める事に関しては
非常に長けており、その記憶能力も、驚くべき才能を持っていたりします。

1度聞いた音楽を、習ってもいない楽器で弾いてしまったり・・・とか、
ある問題を数式にして解いてしまったり、とか
ちょっと真似のできない能力を発揮する人も、中にはいたりします。

超~有名な、あの、スポーツ選手も(あえて名を伏せますが)アスペルガーである
と言われています(あまりにピッタリと、その症状が多く見受けられる為)。



夫のことで、精神的にズタボロになっている、と言っている私が言うのもなんですが
悲観的な事ばかりではないんですね。社会的には。

そして、PDD者でも、それを乗り越え、幸せな結婚生活を送れるように
なった夫婦も現実にいます。

もちろん、それには、本人の自覚と夫婦共の努力と譲歩と妥協が不可欠ですが。


さてさて・・・


まだ 未診断 だけど、「もしかしたら・・・自分はアスペルガーの気が
あるんじゃないだろうか?」

または 「配偶者・家族は、もしかしたら・・・・」と思っている方がいましたら

ぜひ一度、以下のサイトで「診断テスト」をやってみてはいかがでしょう?


これは、お医者様が作られたテストで、病院ではとてもポピュラーな
問診テストなのだそうです。

実は夫にも、このテストをやってもらいました。
結果は、私が「夫の代わりに、夫の回答を想定して」やった時より
ちょっと低めでしたが(うそ~、あなた、違うでしょ・・・っていう回答ばかりだった^^;)
私の5倍は余裕でいっている点数でした。
(ちなみに私は1桁=定型圏でした)


アスペルガー診断テスト


ページ内のpdfリンクがテストではなく、その下に(開いたページの中)テストが
ありますので、やってみて下さい。


もしも高い点数が出たとしたら、その結果をきっかけに受診ができれば
きっとご本人にとっても、家族にとっても、救われることになると思います。

私の勝手な想像ではありますが、たぶん、本人も「生きにくさ」を感じながら
人生を送ってきたのではないか?と思うんですね。。。
自分はちょっと人と違うな、、、困難な事が多いな。。。って。

そうじゃない人もいるかもしれませんが、もしそうならば、専門家に受診する事によって
それが「転機」となり、救われる人もいるんじゃないかと。


そんな事を勝手に思いつつ、リンクを貼らせていただきました。

ちょっと設問が多いかもしれませんが、そんなに難しいテストじゃないので
気になる方は、やってみてくださいね。











04:13 サボテンと雪椿 過去ログ | コメント(2) | トラックバック(0)

子供の偏食と夫の無神経

2010/05/01
私はほとほと、料理を作る事に苦痛を感じてしまっている。


PDDの人は偏食が多い、とよく言われますが、我が子が小さい頃は
通常、子供が苦手とする しその葉 や パセリまで食べてしまう子だったので

よく「なんでも食べる、いい子ね~ お母さん、楽だね」

と言われていました。
ですが、成長するにつれ、やはりそれは現れてきました。
気に入ったら、同じ物ばかりを連続して食べたがる。
手料理を食べなくなり、ハンバーガー(ただ、おまけの玩具目当てのように思う)や
CMで流れるお店の物を食べたがり、私が作ったものは半分以上も残すようになった。

(我が子が「なんでも食べる子」だったのは、スキだから、ではなく
大人がほめる反応が嬉しかったから、なのでしょう)

それでも、買ってきたものなんてダメ、と一生懸命食事を作る。
好きなものを、好きな味付けで用意する。

それでも、何日もロクに食べない日が続き、
どんなにこちらが考えて作っても、それはムダなものとなってしまう。

頑として食べない日が続くので、そうなってくると子供の体重も気にかかってくる。


仕方なく・・・ファーストフードの物を買ってあげる。

そんな日々が続いた。

すると夫は、私が手を抜いている、としか思わず
あからさまに嫌な顔をする。
いくら偏食がある、と説明しても、その説明がある専門書を見せても
しばらくすると、「その説明が無かった事」のように、同じ質問・同じ顔を
私にしてみせる。


私はまた、同じ説明をするハメになる。その繰り返しだった。



夫はというと、好き嫌いがない。
というより「これが食べたい」というのが、殆どない。

「何が食べたい?」と相手に聞くと、ものすごく不機嫌になる
イラッとくるそうだ。


「なんでもいいって!わかんねーよ!聞かなくていいよ!」

そう言うので、「じゃぁ●●にしようか」と言うと

「ああ~、それはイヤだ」という。



子供も「何が食べたい?」には答えられない。

一度真剣に「なんで答えられないの?食べたくないの?どうしてか教えて」と
夫には聞けない気持ちを、子供に教えてもらった事があった。

「なんて答えていいのか、わからないんだ。思いつかないだけで、困っちゃう感じかなぁ?」

そう答えた。
私からすると、サッパリ意味が判らない。


だいたい、人と食事をする場合、相手が決める場合もあるでしょうが
「何にする?何たべようか?」
なんて会話は、ご挨拶のようにされるものである。

(こう書くと誤解してしまう方がいると思いますが、本当に 挨拶 ってわけじゃないんです。
 人に会ったら「こんにちは^^」と言うのと同じくらい、ごく自然に、という意味です。
 定型の感覚は、こんな感じです)


そして

「和食なんてどう?」
「ああ、中華もいいよね~」

なんて話しながら

「ああ、あそこにいい店があったよ、行ってみない?」

と、全員の意見を伺う=人の気持ちを無視しない、という意味の言動をとる。


けれど、PDDの人にとっては、これは「ウザー、メンドクサッ」な事のようだ。
脳タイプが違おうが、ナンだろうが、私はあえて言わせてもらう。


「相手を思う気持ちを言葉にし、伝える事が集団では大切な事。
それは人間関係において、相手を思いやる、という重大な意思表示だから、
定型は 面倒 なんて思わない。面倒=相手の気持ちはどうでもいい、という事になる」

と。
私は子供には、そう言い聞かせている。
物事を理解する能力はあるのだから、それを「記憶」すればいい。
そう思って。



私が料理を作ることにウンザリしたのは、子供の事だけではない。
私は料理に自信があった。
分量をキッチリ量って・・・なんて事は、今までした事はないですが
小学校1年から、味噌汁を作ったりご飯を炊いたりしてきたので、
独学的・独創的に、何でも作った。

自分が一度、クチにしたものは、たいがい作れた。
けっこう食べ歩きをしていた方だったので(独身時代)、そこで覚えた味や
それを元にした独自の料理を作って、よく友人たちや会社の同僚にふるまった。
(頼まれてないのに、自分から誘ってまではしませんでしたが 笑)

料理に自信を持っていた。

けれど、夫の行動から、もうその自信はガラガラと崩れた。

私が作った物に、さらに当たり前のように味付けをして食べる夫。
野菜炒めがスキな人だったので、凝って作った野菜炒めを出すと
「普通のがいい」と言われ(常に好評の自信作だった)、
普通のを作れば、いきなり「ソース持ってきて」と、2人で食べるはずの
野菜炒めに、ドバドバとソースをかけた。

私が驚いて「野菜炒めにソース??」と言うと
夫はキョトンとして「うん、え?知らないの?野菜炒めにはソースでしょ!」
と自信たっぷりに言うので「聞いた事がない」と言うと、めちゃめちゃ驚いて
「うちのお袋はこうやってた。これが普通だった。これがいい」と・・・。

お母さんの味なのね。
そうですか。

確かに、子供の頃から食べていた味が良いのは、理解できる。
でも・・・ちょっと、あまりに失礼じゃないの?いきなり・・・それは。

とりあえず、それで愚痴グチ言っても、夫の味覚が変わるわけじゃないので
「今のは、ちょっと失礼だったと思うよ」
という事と
「ソースをかけたいなら、小皿にとってからにして欲しい」
という事を告げた。

そして、義母に使っている調味料を聞き、夫の味覚に極力合わせるようにした。

私はサッパリ系の和食や、中華がスキだった。
夫は揚げ物が大好き。私はこれが苦手だった。
食べられないわけじゃないし、出されれば食べられるけれども
油で揚げた物のギトギトや、肉の脂身が ウェー・・・だった。

「お前と俺は、ほんと合わないな」

と、彼の好きな味覚をせっせと作っている私に
にこやかに、冗談ぽく言う夫。

「ありがとう」とか、そういった類の言葉は一切ない。

私が自分の好みの食事ばかり作っているなら、そう言われるのも
わかるけれど・・・私はあなたの好みに合わせているんですよ・・・?


そして、今まで「おいしい!」とか、「またこれ食べたい」と
【他の人たち】に言われてきた私の料理は、好みじゃない、とアッサリ
切り捨てられていった(もしくは無言・無表情で食べるか)。

夫は食事の時に会話しない。

今ならば、1つの事を同時にできないPDDの特徴なのでしょう、と気づける。
でも、楽しい食卓を夢見てきた私にとって、とても悲しい事だったけれど

「食事中に会話すんな!と父親に言われて育ってきた。今更変えられない」

と言われたら、もうどうにもできない。


食事って・・・黙って食べるものなの?
エサじゃないんだから・・・。
楽しく、会話したり、その日の事を言い合ったり、冗談で笑ったりしながら
食べるものじゃないの?

と思いつつも、まぁ、私も1人の食事が当たり前で育ったわけなので
我慢ができてしまった。



こんな事が続いて、子供も食べてくれないし、もう、食事をまともに作る気力すら
なくなってしまっていった。

どうせ、作ったって、食べてくれない。
なんとも思わないだろうし。。。


でも、一番私がウンザリしてるのは、そんな風になっている自分の事なんだと思う。




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夫の特徴、子供の特徴

2010/05/01



ひとくちにPDDと言っても、その特徴には個人差がある。
大分類としては、よくネットにも掲載されていますが、その人その人によって
当てはまるもの、当てはまらないものがあったりします。


よくネットで見かける特徴の代表的なものは


・特定の事柄に執着する(拘り)
・融通が利かない
・表情が乏しい
・集中力の欠如(自分の好きな事は別)
・言葉の理解力が乏しい
・映像、絵など、視覚的なものは理解しやすい
・共同作業ができない(協力しあう)
・他人の立場に立てない
・共感、気持ちの共有ができない
・注意されると、その意味を理解する前に「注意=攻撃」と捕らえる為、会話が困難になる
・他人に興味がない為、噂話などはしない
・合理的思考の支配
・偏食になりがち
・整理整頓が苦手
・聴覚過敏、臭覚、視覚過敏などがある
・睡眠障害がある
・環境の変化が非常に苦手(臨機応変ができない)
・世間話が苦手
・特定の「親友」がいない(本人は寂しく思わない)
・記憶力が高い
・作業の手順など、一定の法則に拘る
・羞恥心が乏しい


このような感じでしょうか。

ハッキリいって、深く付き合わないと、ものすごく解りにくいのがHF-PDDです。
高機能自閉症の方が、アスペルガーに比べると若干わかりやすいでしょう(かなり?かなぁ)。
アスペルガーの人は、特に見分けがつかないと思います。
そして、人口的にも決して少なくないので、まず「一度も知り合った事がない、周囲に
1人もいなかった」という人は、皆無と言っても良いと思います。

それほど人口が多いのに、日本では、この診断を正しく下せる医者も非常に少なく、
医者の知識レベルも(教師も)、残念ながらあまり十分とは言えないでしょう。

国も2005年あたりから、やっと、このPDDへの取り組みをはじめた程で、
まだまだ、環境としては整っていないといったところです。


なので、まず、家族や本人は、病院探し という壁にぶつかると思います。
うちは関東都心部なのですが、それでも大学病院などの大きな病院でないと
なかなか、対応できる病院がありません。

たとえ病院がみつかっても、ちょっとこちらが不安になるような感じの
頼りない(ごめんなさい^^;)所も、けっこうあったりするんですね。
(たまたま、うちの近所だけなのかもしれませんが)

そして、やっと見つけた!と思った病院でも、予約を入れようとすると
2~3ヶ月待ちなんて当たり前、といった感じです。

これはどこの病院でも、たぶん同じかと思います。

それだけ、対応できる医師・病院が少ないため、どうしても患者が
一箇所に集中してしまうためなのでしょう。

そして、知的障害を伴った場合ですと(IQが基準になり、70以下が対象)
様々な補助やサービスが受けられるのですが、そうでない場合は「自費」で
まずそういったサービスは受けられないため、医療費もバカになりません。
(薬などは普通に保険がききますが、それ以外は×)

うちの子供の場合は、睡眠障害が生まれた時から激しかったので
0歳児~4歳くらいまでは、いつも深夜2時頃までグズりが酷く、
ずっと、何時間も抱っこやおんぶをして、揺らしていないとダメでした。

3歳の頃には、部屋を暗くして、なんとか寝付かせても、いつの間にか起きだして
真っ暗な部屋で、砂嵐のテレビをつけたその前で、1人遊びをしていた事もありました。

また、深夜1人で起きだして、背の低い(50cm未満?)電気スタンドの傘を
とってしまい、電球で火傷をして、大泣きしたその声で私が飛び起き・・・
なんて事もありました。

1歳になって歩きはじめた頃は、夜があけたくらいの早朝に
1人で風呂場へ行って、浴槽に栓をし、ちょっとだけ水を出して
遊んでいたようで(力が無いので、少ししか水を出せなかったのは幸い)
そのうちに浴槽に落ち、水浸しになって大泣きしていた・・・なんて事もありました。

それは延々、小学4年まで続きました。

そんなわけで、こちらがうっかり寝てしまうと何をしでかすか解らないため、
私は子供と一緒に起きていなければならない状態が、ずっと続きました。

夫は「私が好きで起きてる」くらいにしか、思っていません。
「早く寝せろよ」「お前が起きてるから、●●も起きてるんだ」
などと言うばかり。

私がうつ病だろうが、不眠症に陥って、低体温症とか内臓機能や
ホルモンバランスを崩しているところまで行っても、まったく理解できていない様子。

その都度、担当医も睡眠障害の話をしていたでしょう?
過去にもいろいろ、事故があったでしょう?
寝せようと思って寝せられるものじゃないのは、解っているでしょう?
私も体調がおかしくならないほうが、おかしいっていう程、長い期間
自分のペースが保てないんですよ?
私は医療機関のテストでも、夜型 ではないと出ている(中間型)
夜型なのは、あなたと子供でしょう?

その都度、その都度、説明すると
「わかってるって」
と言うけれど、またしばらくすると、同じ言葉を私に投げつける。

そして私は、また、同じ説明をしなければならない。
その繰り返し。


本人はもちろん、社会的にも理解されがたいものなので
他の人に言っても、誰も理解してはもらえません。

母親の努力・我慢が足りない。実の親ですら、ずっと私を責めてきた。
もっとこうすればいいのに(言うがやすし。習慣の問題ではないのに、知識がない人には
「しつけ」の問題、としか受け取ってもらえない。

母親は、唯一の協力者・理解者になりうる「夫」にも、理解がないために
たった1人で、暗中模索の中、戦うしかないのです。
周囲に責められながら。実態も知られぬまま。



我が子の特徴としては、この睡眠障害と、言語の理解力の困難さ、整理整頓ができない
事が、もっとも大変なことでした。

整理整頓は夫も苦手です。
ゴミをゴミ箱に入れられないのですから。
洗濯物を洗濯物カゴにすら入れられない。
物が落ちていても、拾わない。

そして、夫は私を責めるのみ。もっと家事をやれ、と。
たとえ寝込むような病気であっても、です。

私は掃除が好きな方でした。
掃除の苦手な友人のうちに彼氏が来る前は、必ず私が行って
掃除をし、料理を作り、その子がやったかのようにして、帰りました。
それを好んでやる程、得意でした。

私の家や部屋は、人が来ると「モデルルームかっ!笑」と言った冗談も
飛び出すほどでした。
私は車がスキで、マンションの5階に住んでいたのですが
週1回は、1階にある車庫まで、バケツでわざわざ水を運んで
(車庫は私専用だったので、誰にも迷惑はかからない)
手洗いし、ワックスがけまでやっていました。

近所のおじさん、おばさんたちも「ほんとに●●ちゃんはマメだねぇ!」
「ほんとに車がスキなんだねぇ!」と、よく声をかけてくれ、
世間話をしながら一服お茶を、なんて事も日常にありました。

友人の家に遊びに行って、車が汚れていると、頼まれもしないのに
洗い出したりするほどで(笑←アホですね

でも、それで他人を「だらしない」とか「こんな汚くして」なんてのも
思わずなので、神経質ではなかったのかも?
散らかった友人の部屋でも、別に嫌だとも思わなかったし
「きちんとしなさいよ~」なんて事も、そういえば思わなかった。

なので、相手のズボラにストレスを感じてるんじゃないんですね。
元々、人になにかするのはスキだったので。

私がストレスを感じているのは

「私がやればいい、やるだろう、というようにしか見えない無神経さ」
「具合が悪い時ですら、それが理解できず、不機嫌になったり
私が【だらしない】といったように、その時期だけで私の過去まで変えて責める身勝手さ」

にほとほと、参っているわけです。
でも、それが理解できない脳タイプだから、仕方ないのかもしれませんが・・・
解ってはいても、こういった日常では、精神も持ちません。


子供は聴覚過敏があるのですが(夫もそうかも?)
それすら構わず、気にせず、父親なのに・・・気に入らないと大声で怒鳴りだす夫。

その声に強い恐怖と驚きを感じて、パニックになり、スクリーム(泣き叫び)しだす子供。

最近では、子供の方が「離婚した方がいい」と言い出す始末。

でも、PDD思考は合理的思考、という特徴があるので
これは自分の感情ではなく「パパと上手く行かないし、愛し合っている
ような感じではないから、そういう場合は離婚するのではないですか?」
といった、計算式的に意見を言っているのではないか?
と、私はちょっと疑っています。


とはいえ、子供からそんな言葉を言わせてしまう程ならば・・・
離婚した方が、むしろ子供のためなのだろうか?とも考えたりする
今日この頃です。


まったく・・・ダメな母親ですね・・・。


13:16 サボテンと雪椿 過去ログ | コメント(11) | トラックバック(0)
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